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「うな丼」を発明したのは鰻屋じゃなかった?

 
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ショウちゃん田添祥一
こんにちは!炭焼うな富士の鰻(うなぎ)をこよなく愛するおウチでうな富士推進担当タゾエです。30才です!嫁と2人の娘という家族構成です。うな富士の鰻がおウチで快適に食べられるように頑張ります!日々、炭焼うな富士の大将(創業者)の水野さんに教えてもらいながら鰻(うなぎ)についてもう勉強を楽しんでいます。僕と一緒にみなさんも鰻(うなぎ)の奥深さを学びませんか?

うな丼はどんなものでしょうか?鰻丼はご飯とおかずをひとつに盛り合わせて食べる丼物で、明治の頃に「うな丼」といいます。それから、鰻(うなぎ)は日本の食文化ということになります。鰻丼は江戸・文化年間(1804~1817)の頃、芝居の金主(興行主に資金を提供)である大久保今助という人が発案したとされています。

Q.「うな丼」を発明したのは鰻屋じゃなかった?

天丼、牛丼、カツ丼、親子丼など、ご飯とおかずをひとつに盛り合わせて食べる、いわゆる”丼物”は、時間をかけず手軽に楽しめる食事として今人気があります。

鰻(うなぎ)丼はこうした丼物の元祖であるといわれています。

  •  明治に入る頃まで「丼」と言えば、この「うな丼」のことをいいました(「守貞謾稿」1837年、喜田川守貞著)。
  • ちなみに割り著の元祖も鰻(うなぎ)に関係し,うな丼の普及とともに竹製の「引き裂き著」、「割りかけ著」が登録したといわれています
  • 鰻(うなぎ)は日本の食文化をリードしてきたといえるかもしれません。

 

さて、慶応元年(1865)刊の「俗事百工起源」(宮川政運)によると、

  • 鰻丼は江戸・文化年間(1804~1817)の頃、芝居小屋が立ち並ぶ日本橋の堺町(現在の東京人間町)です。
  • 芝居の金主(興行主に資金を提供)である大久保今助という人が発案したとされています。

 

今助は大の鰻(うなぎ)好きで、近所の葺屋町にある鰻屋の大野屋から毎日出前をさせていました。当時、鰻(うなぎ)の出前は温めたヌカの上に鰻(うなぎ)を乗せ、冷めないように工夫していましたが、ヌカは鰻(うなぎ)に張り付くためおいしく食べられず、これをとるのに手間がかかってしまいます。

そこで今助は一計を案じ、「熱い飯を丼に盛り、飯の間に鰻(うなぎ)を挟んで持ってきてくれ」と頼みました。やってみると、鰻(うなぎ)は冷めないし、ご飯にはタレが染み込んで一層旨くなり、いいことばかり。

当時有名人だった今助が絶賛することの鰻(うなぎ)の食べ方は大評判となりました。それから大野屋は「元祖 うなぎめし」という看板でこれを売り出し、大層繁盛しました。これがうな丼の始まりとされています。一方で、うな丼発祥の地を謳う茨城県龍ヶ崎市では、別のエピソードも紹介されています。大久保今助の故郷は、現在の茨城県常陸太田市。帰省の折、水戸掛道を牛久沼まで来て茶店で渡し船を持っているとき、急に鰻(うなぎ)が食べたくなり、蒲焼きと丼飯を頼んだそうです。

ところが、注文の品が出てきたときにはもう船が出る刻限となり、今助は丼と皿を借り、あわてて丼飯の上に蒲焼きののった皿を逆さにかぶせて船に乗り込みました。対岸に着いて土手に腰をおろし、件の鰻(うなぎ)を食べてみると、蒲焼きが飯の温度でほどよく蒸されて柔らかくなり、またご飯にはタレがよく染み込んで、これまでに食べたどの鰻(うなぎ)よりもうまかったという話です。

また異説では、江戸の四谷伝馬町三河屋紡某の家に勤めていた男が、暇を取った後、葺屋町の裏長屋で丼飯へ鰻(うなぎ)の蒲焼をさしはさんだものをわずか64文で売り始めたのが最初ともいわれています。この話は青葱堂冬圃の「真佐真のかつら」(安政5年、1857年)に出ていて、この男が商う「うな丼」が次代に繁昌し、皆がまねて売ることになっていたと書かれているそうです。さらには、うな丼は天保年間(1830~1843)に浜町河岸にあった大黒屋が始めたと言う説もあります。こうした「元祖問題」はなかなか検証が難しく、結着は一筋縄ではいきませんが、鰻屋で鰻(うなぎ)の焼けるのを待ちながら、鰻(うなぎ)の食文化の起源を喧々諤々議論するというのも、乙なものではないでしょうか。

A.江戸の中期、歌舞技小屋の金主の大久保今助が発明したという説が有力です。

 

Q.これらの「うなぎ包丁」は、それぞれどの地域のもの?

うなぎ包丁は「割き包丁」とも呼ばれ、鰻(うなぎ)を割いて調理する際に使われる特殊な包丁です

  • 脂肪分の多い鰻(うなぎ)は、普通の出刃包丁では鋭すぎて滑ってしまい、身がぼろぼろに崩れてしまうことがあります。
  • そのため、鉈のような形状で、かつ刃付けを鈍角にした、むしろ鈍い包丁で、脂肪分ごと切り割く感じでおろしていくのが良いとされています
  • また、地域によって鰻(うなぎ)の割き方や調理法が違うため、それに使われる包丁の形もおのずと異なっています。

  

さて、「うなぎ包丁」は、それぞれの地域のもの

     1.関東型

  • 「江戸割き」ともいわれる関東型は、さくことと同時に開いた鰻(うなぎ)を切り分ける機能も備えた大ぶりのものになっています
  • 江戸前の割きの特徴は、背開きとその後の背びれ・腹びれを取り除く「ヒレ引き」にありますが、こうした工程の多さに対応して、包丁は複雑な形になりました
  • まず尖った刃先の部分で背側から割き、柄に近い刃の部分でヒレを引いて、刃全体で身の部分を切り分けます。

 2.名古屋型

  • 名古屋型「伊勢型」ともいい、腹開きに特化した鰻(うなぎ)包丁です
  • 刃の部分は四角く、先端上部は若干刃くなっています
  • 古来うなぎ(うなぎ)料理の盛んな伊勢地方を中心に使われてきました。

 3.京都型

  • 「京割き」とも呼ばれる東京型は、ずっしりと重く、鰻(うなぎ)を割くことに適した包丁です
  • もともとは「腹開き」と「背開き」の両方ができる包丁から始まったそうですが、どちらにしても京都は蒸しの工程がない「地焼き」であるため、ヒレ引きは行わず、関東型のような角はついていません
  • なお、この包丁の厚い背の部分は、目打ち(鰻をまた坂に打ち付けて固定するための釘のような金具)を押されて鰻(うなぎ)を刺すのに用います。

  4.大阪型

  •  大阪型先端が鋭く尖ったシンプルな切り出しナイフ型の包丁です
  • 木製の柄のない点は大阪型に似ていますが、刃の部分は鉈のような形状となっています
  • やはり柄の部分に布などを巻き付けて使用します。

 

このほか、鰻職人によって左利き予用や重さ・大きさの好みがあり、打ち刃物匠に直接注文してオリジナル包丁を愛用している人もいるようです。最近では全国的に関東型を用いるうなぎ職人が増えているようですが、鰻(うなぎ)の割き方や調理法の違いが「うなぎ包丁」という道具に変化を生み、それが各地方で引き継がれているのは、鰻(うなぎ)食文化の多様性を目の当たりに見るようで、日本人と鰻(うなぎ)との関係の深さを感じさせます。

A. aは関東型、bは名古屋型、cは東京型、dは大阪型、eは九州型です。

塚本勝巳 黒木真理 (著)

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