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鰻(うなぎ)の名店、炭焼うな富士をご家庭でもお楽しみ頂けるようになりました。

炭焼うな富士

【炭焼うな富士】通販を始めました!日本全国へうな富士のうなぎをお届けします!

うなぎの歴史や伝統の知識を深めてうな富士の鰻(うなぎ)をもっと楽しもう!

 
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ショウちゃん田添祥一
こんにちは!炭焼うな富士の鰻(うなぎ)をこよなく愛するおウチでうな富士推進担当タゾエです。30才です!嫁と2人の娘という家族構成です。うな富士の鰻がおウチで快適に食べられるように頑張ります!日々、炭焼うな富士の大将(創業者)の水野さんに教えてもらいながら鰻(うなぎ)についてもう勉強を楽しんでいます。僕と一緒にみなさんも鰻(うなぎ)の奥深さを学びませんか?

鰻(うなぎ)屋として、当たり前な初級的な知識です。最初は、何も知らないところから僕もスタートしました。ただ、知れば知るほど、歴史や伝統が深いのが鰻(うなぎ)です。僕が勉強したことを簡単にクイズ形式で紹介させて頂きます。ぜひ、最後までお付き合いください。

Q1.北斎の描いたこの鰻(うなぎ)、間違っているのはどこ?

この下記の絵は天才北斎が描いた絵です。こんなに古くから知られた鰻(うなぎ)ですが、実は、とんでもない間違いによって描かれたものだったんです。皆さん、どこが間違っているのかお分かりでしょうか?

A.腹鰭が描かれている点

上記の絵の赤丸の場所がなんと間違えの部分です!驚きの事実ですね。

下記には解説を書かせて頂きます。天才北斎は、おちょこちょいな一面があるんです。

鰻(うなぎ)の仲間(鰻(うなぎ)目)にはすべて腹鰭がありません。これが鰻(うなぎ)目の特徴になっていて、足に相当する腹鰭のない魚のないという意味でかつては無足類(Apodes)と呼ばれていました。鰻(うなぎ)にある鰭は、左右一対の胸鰭と、長くひとつにつながった背鰭、尾鰭、臀鰭のみです。

この問いで挙げた「北斎漫画」(ほくさいまんが)は、江戸の浮世絵師・葛飾北斎(1760-1849)が描いたもので、1812年から名古屋の門人宅に逗留している間に描いた約300点余りの絵を元にして、1814年に絵手本として発刊されたものです。これが好評を得て、その後、北斎没後の1878年(明治11年)までに全15編が発行されて、絵の数は4000点近くにまで及んでいます。北斎はこの絵について「森羅万象を気の向くまま、筆が進むまま描いた」と言っているように門人や絵を学ぶ人たちのお手本になるよう、さまざまな表情やしぐさをした人物、動植物、風景、風俗、妖怪変化など、ありとあらゆるものをこと細かにスケッチしています。

この「北斎漫画」の人気は国内にとどまらず、1830年代にはヨーロッパに渡り、ヨーロッパ印象派の画家太刀にっも大きな影響を与えていたといわれています。しかし、そうした大巨匠・北斎の筆がすべって、思わず鰻(うなぎ)に腹鰭を書き込んでしまったのは、天才北斎の「蛇足」として、むしろほほえまれしいです。また、このイラストにも添えられている「鰻(うなぎ)登り」とは、急激に増大してとどまるどころのない様をいい、気温・物価・評価などがみるみるうちに上がるときによく使われます。このように鰻(うなぎ)の特徴的な生態を表した慣用句やことわざは、日本ではもちろん、外国にもたくさんあるようです。

Q2.「鰻(うなぎ)の寝床」って本当にあるの?

ここでは鰻(うなぎ)の性質についてのお話です。正直、僕も鰻(うなぎ)の性質まで知る訳もなく、これも知っていなきゃ損だとまで感じました。そんな解説を書いていきます。

A.あります!

鰻(うなぎ)は河岸の穴、岩陰、石の下、水中の倒木、泥中の巣穴など住みついています。これは鰻(うなぎ)が暗くて、自分の体にぴったりと横の壁にくっついていることが好きだという性質によるものです。つまり「負の走光性」(光を嫌う性質)と「正の走触性」(接触を好む性質)を満たすことが鰻(うなぎ)の住み場所の条件となります。こうした鰻(うなぎ)の巣の特徴から、間口が狭くて奥行きの深い建物や場所のたとえとして「鰻(うなぎ)の寝床」という言葉が生まれたそうです。京都の町屋がその典型だと言われているそうです。

ちなみ、京都の町屋のイメージ図です。本当に「鰻(うなぎ)の寝床」のように縦長な作りです。

Q3.「蒲焼き」の名前の由来とは?

僕自身も疑問でした。鰻(うなぎ)屋をやるようになってから「蒲焼き」というワードは頻繁に聞くようになりました。ただ、勉強していったら、深い理由がありました。タメになるのでここで教えちゃいます。

A.鰻(うなぎ)のぶつ切りを串に刺して焼いた様子が、川辺に生えていた蒲の穂に似ていたから

先ほどから歴史を調べていくとこうした様子から連想されたケースが多いことが分かります。なんだか、僕もホッコリした気持ちになります。もう少し詳しくお話していきます。

昔は、丸焼きにした鰻(うなぎ)に山椒味噌をぬったり、豆油(たまり)をつけたりして食べていたようです。室町時代の料理技術を記した大草家料理本には、鰻(うなぎ)を割らずに縦に串刺しにし、醤油と酒で調味して焼いたことが記してありました。その姿がまるで蒲の穂に似ていたことから「がま焼き」「かま焼き」もしくは「蒲鉾焼き」が月日を経て、「かば焼き」へと転じていったという説が有力なんだそうです。他にも説があるみたいですが一番納得できたことを僕なりに書きました。

さらに月日が経ったあるとき、鰻(うなぎ)を背開きにして串打ちし、蒸して過剰な脂を抜いて柔らかくしたものに濃い目の醤油ダレをぬって焼き上げたアツアツを供しのが現在の蒲焼の始まりです。

ちなみにこれが古来の蒲焼きの写真です。ここから歴史が刻まれたと思うと奥が深いです。

蒲焼きとなるまでにもこんなにも深い歴史に包まれているのは紛れもない日本古来の文化であると思います。まだまだ続くこの鰻(うなぎ)の歴史を今後ともご期待ください。

 

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ショウちゃん田添祥一
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